2022/09/18 22:46

序詞・古文(主に和歌)において、ある言葉(内容)を導きだすための前置きの言葉。

わたくしが何故このブランドを立ち上げたいと思ったのか?それにはいくつかの理由と動機がございますので、まずはそのご説明からさせていただきます。

初めの動機は、わたくしが過去に作品をお譲りした方の中からこの様なお言葉をいただいた事がきっかけでした。
『貴方の器(コーヒーカップ)を、いつも大切に使わせていただいております。とくに仕事で大事な打ち合わせがある時などには必ずこの器で一息入れてから事に当たらせていただいておりますよ』と。

その時にはありがとうございます。と何気に受け答えてしまいましたが、何故か私にはその言葉がず~と頭の中に残り、それ以来「自分の作るものが見ず知らずの他の方の人生に少しでもお役に立つことが出来ているのかな?」と思う様になりました。今ではもうどちらの土地で生活をなさっておられるのか分からないこの方に、私の焼物人生の方向を付けられていた様に思います。物作りは他の人の人生に影響を及ぼす力があるのだと。

それからしばらく、私が30代後半に差しかかりました頃、日ごろの不摂生がたたりひどく体調を崩した事がございました。病院に行っても原因は良くわかず、適当な病名を付けられて薬をいただいて帰るのですが全く体調は良くならず、先生に申し出ましても「何の問題もありません」と一蹴され、最後には「気のせいですよ」と言われる始末。納得の行かないままやり過ごしておりましたが、あるきっかけから漢方の先生に診てもらう事になりました。

そこで言われた事がまた目からウロコ、「それはいくらお薬を飲んでも治りませんよ。食べ物を変えなければ体は良くなりません」それを聞いて言われるままに食事を見直したところ、体調はどんどんと回復し、そればかりか従来からもっていた重度の花粉症もいつの間にかあまり感じない程までに改善されておりました。

先生いわく、「人間には本来必要となる食性と言うものがあります。その人の体質や季節、また住んでいる土地柄、民族によっても必要な食べ物は全くちがいます。それらを間違えると所謂『食違い』がおこり、体に不調をきたす事になるのですよ。」

ここであえて『必要な栄養』ではなく、『必要な食べ物』と言われたのは、例えばタンパク質が必要となればお肉でもお魚でもどちらでも良いと思われてしまいますが、肉食を中心として来ました欧米の方とは違い、農耕民族であった我々日本人におきましては、お魚や大豆類からタンパク質を摂取した方が体にとりましては正解なので『食べ物』と表現したのです。

わたくしはこの時に改めて、『人の身体は食べるものから出来ているのだなぁ』と実感したのと同時に、深遠なる自然の妙と言うものを感じずにはおられませんでした。

以来わたしは漢方(中国では中医学と言う)だけではなく薬膳などの料理や陰陽五行、風水と言った東洋思想と言うものに強く興味を抱く様になりました。

言われてみれば本来のわたくし達の生活は、暦や町の形、そして私たちが使っている調度品などの道具類にいたる生活のすみずみにまで、これらの思想にもとずいて暮らしを営んで来たはずです。それは思想と言うより自然に寄り添い、元のままに命を育くもうとする『文化』そのものだった様に思われます。

そして更に、その思いは『伝統』を生業としておりますわたくしには自分の仕事に対しましても向き合わざるを得なくなり、この国が歩んできた歴史、伝承、文化、風習、そして美意識に至るにまで、「私たち日本人が固有に持ち合わせている”形”があるのではないか?と言う想いに自分の創作活動の答えを自然に見出す様になっていきました。

食べ物による食違いから体が不調をきたす様に、文化によってもまた、わたくしはその国が持っている固有の『体質』と言うものがあるように思われます。それを一番よく表しておりますのがその国が持っている個々の『神話』ではないでしょうか?

その国の人がどんな神様を信じ、何を拠り所とし、どうして今の社会の形になったのか?それらはまるで大河の流れの様に一つの物語となって、今日のわたくし達の生活を支えてくれています。例えば、この世に起こるあらゆる森羅万象に神様が宿っていると考える神道では、物にもまた神の発現を見出して、日用品をとても大切に扱って参りました。これがわたくし達日本人がもっている普通の感覚ではないでしょうか?

それらもまた食べ物と同じように正しく受け取って生活をしていかなければそれらの国々の方達の生活もまた、不調をきたしてしまう様にわたくしには思えます。今日の日本があまり元気が無いのも、もしかしたらこんなところに原因があるのかもしれません。

そして私達が普段生活の中で何気に目にしている『和柄』と言う装飾の中にもまた、それぞれに深い意味が宿されています。

例えば「市松紋様」には途切れる事無く柄が続いて行く事から繁栄の意味が込められておりますし、麻の葉からデザインを致しました「麻の葉紋様」にはを魔除けの意味が込められております。その昔、生命力の強い麻の葉は神聖な植物として神事に用いられたり、薬としても重宝されておりました。それ故に生まれてきた赤ちゃんには麻の葉柄の着物を着せるなどの風習がありました。つまり和柄と言うものは単に綺麗だとか美くしいだとかと言うデザイン的な要素だけで楽しまれて来たものでは無く、人々の想いだとか願いだとか、いわば深い祈りの捻を込められて用いられて参りましたツールでもあると言う歴史を持っております。

以上述べて参りました通り、わたくし達の暮らしは長い歴史と伝統の中から必然的に生まれてきた「営み」の結晶であります。

わたくし達の国の文化・風土は環境から全く影響を受けずに無関係に生じたものではありません。それを今風の言葉で言うと、アフォーダンスとでも言うのでしょうか。ですのでこのブランドはそのような趣旨のもと、わたくしが昔から大好きでありました日本の神様や和柄をモチーフといたしまして、今のわたくし達の暮らしに寄り添う新たな心の形を求め、それを必要とされる方の幸せや願いを祈念した器を神器しんきと呼び、神様に捧げる思いで作り上げました。

この想いに共感して下さる方にお福分けをする事が出来ましたなら望外の喜びであります。どうぞ皆様との良きご縁を心よりお待ち申し上げております。